コンプライアンスと謝罪と芸人魂

昨年、2019年は吉本の反社会勢力との接触や、チュートリアル徳井の所得隠しなど、芸人のスキャンダルが相次いだ1年でした。

昨年だけではなく、ここ数年、芸人の不祥事が相次いでいて、すっかり芸人という職業は企業なみにコンプライアンスを遵守しなければならない普通のビジネスパーソンとなったという印象です。

個人的には2012年の次長課長河本の生活保護不正受給事件より、芸人にも高いコンプライアンスが求められるようになった印象があります。逆に言えば、それまで私が抱いていた、お笑い芸人のイメージというのは、コンプライアンス絶対遵守のようなガチガチに凝り固まった価値観を笑い飛ばす、または違う視点からの鋭いツッコミで、揺さぶりをかける人達でした。

そういった既存の価値観に揺さぶりをかける芸人像として思い浮かぶのは、私達の世代(現在のアラフォー世代)でいえば、やはりビートたけしさんで、特に80年代、テレビタレントとして絶頂を極めていた頃は、世の中の良識や偽善を笑いと毒舌でひっくり返し、日本国民の支持を得ていました。特筆すべきは、フライデー乱入事件などの事件を起こしながら好感度タレント1位だったことです。

フライデー乱入事件の記者会見の映像は今でもYouTubeで見ることができますが、いやー圧巻ですね。記者に凄んでますもの。吉本の反社会騒動時の宮迫、田村亮の謝罪会見と比較してしまうとその差に立ちくらみしてしまいます。

皆さま、ご存知の通り、この事件の後もビートたけしさんは映画監督として「世界の北野」となり、他の芸能人とは一線を画す存在となりました。そんなビートたけしの姿は現在の芸人の社会的な立ち位置を先取っているように思います。

すなわち社会の外側から王様は裸だと叫び続けていた子供が、いつのまにか、王様そのものになっていたという縮図です。反権威が権威になっていたというべきか。

権威の空虚さをを笑うべき存在が権威そのものなり、良識という名の一般常識に従わざるを得なくなっているのが現在のお笑い芸人の実情ではないでしょうか。

それはピース又吉が芥川賞を受賞したり、ウーマンラッシュアワー村本が朝生で「国民の代表」として、政治的発言をしたり、ダウンタウン松本人志がパーソナリティーをつとめるているワイドナショーに安倍首相が登場したりしていることにも見られるように、お笑い芸人という職業の地位が社会的にもあがったということです。

その結果として、政治家や教師や医者といった社会的地位が高いとされる職業の人が不祥事を起こした時に必要以上にたたかれるように、お笑い芸人も高い倫理観、コンプライアンスの遵守精神が求められるようになったということでしょう。

常識に風穴をあける職業の人々さえも常識に従わざるを得ない時代、それは芸人という職業の社会的地位があがってしまったことによる、芸人受難の時代といえるのかもしれません。

*本記事は2020年に記載した記事の再アップとなります。

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