昔から陰謀論と呼ばれる言説は無数にある。ケネディ暗殺陰謀説、アポロ月面着陸捏造説や9.11アメリカ同時多発テロ自作自演説などが有名だし、近年ではコロナワクチンによるビルゲイツによる人口削減計画など、コロナ関連でいくつもの陰謀論と呼ばれる言説が流布されている。今回はこれらの陰謀論のひとつひとつの真偽についてではなく、現代社会における「陰謀論」「陰謀論者」という言葉の果たす機能について考察してみたいと思う。
そもそも「陰謀論」の定義とは何だろうか。Wikipediaを見ると次のように記されている。
陰謀論(いんぼうろん、英: conspiracy theory)とは、ある出来事や状況に対する説明のことであり、他に妥当な説明があるにもかかわらず、邪悪で強力な集団による陰謀が関与していると断定するものである。この言葉は、偏見や不十分な証拠に基づいて陰謀の存在を訴えているという、否定的な意味合いを持って使われることが多い。
陰謀論 – Wikipedia
要するに「偏見に基づいた無根拠な言説」といったところだ。続きの内容を見ていくと、陰謀論にはまりやすい人々の特徴が書かれている。
一部の研究者は、陰謀論を信じることは心理的に有害(あるいは病理的)であり、低い分析的思考能力、低い知能、心理的投影、パラノイア、およびマキャベリズムとの相関があることを示唆している。心理学者は通常、陰謀論を信じることや、何もないところに陰謀を発見することは、パラノイアやスキゾタイピー、ナルシズム、および愛着障害などの多数の精神病理学的状態、あるいはアポフェニアなどの認知バイアスに起因すると考えている。
陰謀論 – Wikipedia
さんざんな書きようだが、つまり陰謀論を信じる陰謀論者は反社会的な傾向があり、精神疾患の疑いがあり、情報リテラシーも低い、端的に言うと頭のおかしい馬鹿だということになっている。
この陰謀論者=頭のおかしい馬鹿という図式はもはや、知識階級(いわゆるインテリ)には共通認識となっている。それゆえに頭脳明晰さが売りである知識階級の人間にとって陰謀論者扱いされることは、社会的に致命的なダメージを負う。現代において、知識階級は社会的に高い地位を占めるため、陰謀論者扱いされた時に失うものが非常に大きい。結果として知識階級は陰謀論者と呼ばれない範囲で思考し、情報発信を行う。ゆえに知識階級の意見は近年で言えば、コロナにおいても、ウクライナ問題においても、妙に判で押した様な均一な見解となる。
一方で知識階級でない人々も、たとえ違和感があったとしても知識階級に陰謀論者扱いされたくないので、知識階級の意見を肯定する。結局のところ残るのは陰謀論者呼ばわり上等で腹を括って発信し、社会から干されたり色物扱いされる知識階級か、特に捨てるものがない非知識階級になる。体制側に都合の悪い情報を陰謀論もしくはデマとしてラベリングする手法は、非常に体制側にとって有効に働いている。法的には思想・言論の自由があるはずなのに、自分達で陰謀論と呼ばれない範囲で思考、言論活動をするからである。そして陰謀論の範囲に含まれる思想・言論に対しては攻撃し排斥していく。思考の自粛ともいえる。
つまり「陰謀論」という言葉は、一方で思想・言論の自由をを謳いながら、同時に一定の方向に言説を誘導するためのツールとして、うってつけなのである。
「陰謀論」という言葉のネガティブキャンペーンとして、よく「陰謀論」にハマる人間は、低学歴、低収入が多いという記事が出ることがある。これは一面では真実であろう。それは陰謀論にハマる人間が知能が低い、情報リテラシーが低いということではなく、単に「陰謀論的言説」が知識階級の間でタブーになっていて、「知識階級」ではない「非知識階級」は、そのタブーを守る必要がないというだけのことである。(多くの一般人は「知識階級」を崇拝し憧れており、自分も「知識階級」になりたいと思っているので、「知識階級」が攻撃する「陰謀論者」を一緒になって攻撃することになるのだけれど)
逆に言えば「非知識階級」にとっては、「陰謀論的言説」がタブーという言論・思考上の枷がない。つまり現代においては「非知識階級」こそがタブーなき自由な言論、思考を繰り広げる特権があることになる。
それゆえに、この「陰謀論」についての考察における私の結論は次のようなものである。
現代は「陰謀論」に抵触する言説・思考は「陰謀論者」というレッテルを貼られ攻撃される。しかし本当に自由な言説・思考を求めるならば「陰謀論者」呼ばわりを恐れてはいけない。勇気をもって本当に自由な言説・思考を展開するべきである。
以上で今回の「陰謀論」についての論考を終える。
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